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東京地方裁判所 昭和30年(ワ)7813号 判決

原告 レツクス油工株式会社

被告 河野伝

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一、原告の求める裁判

「被告は原告に対し金三十万円およびこれに対する昭和三十年六月二十六日から支払ずみまで年六分の割合による金員の支払をせよ。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決および仮執行の宣言。

第二、被告の求める裁判

主文と同趣旨の判決。

第三、請求の原因

一、被告は訴外洋明貿易株式会社(以下「訴外会社」という。)の代表取締役と称して昭和三十年三月二十五日原告にあてゝ金額金三十万円、満期昭和三十年六月二十五日、支払地振出地ともに東京都中央区、支払場所富士銀行神田支店の約束手形一通(以下「本件手形」という。)を振り出した。

そこで原告は満期に支払場所において呈示したが、その支払を拒絶された。

二、被告はもと訴外会社の代表取締役であつたが、昭和二十八年十二月八日退任しており、本件手形を振り出した当時はすでに代表取締役でも取締役でもなく、訴外会社を代表する権限をもつていなかつた。

三、よつて、原告は無権代理人である被告に対して本件手形金三十万円とこれに対する支払呈示をした日の翌日である昭和三十年六月二十六日から支払ずみまで年六分の割合による損害金の支払を求める。

第四、被告の答弁および抗弁

一、原告主張の第一、二項の事実は認める。

二、しかしながら、被告が訴外会社の代表取締役を辞任した旨の登記がされたのは昭和三十年六月二十三日であるから、訴外会社は本件手形を被告が振り出した当時被告が訴外会社を代表する権限をもつていなかつたことをもつて善意の第三者である原告に対抗できず、その結果原告は訴外会社に対して本件手形上の権利を請求することができる。従つて、かような場合には原告は被告に対して請求をすることができない。

三、仮に前項の主張が認められないにしても、訴外会社は商号が昭和三十年七月二十五日洋阪商事株式会社と変更された後、代表取締役山浦隆名義をもつて昭和三十年十一月十一日内容証明郵便(以下「本件内容証明」という。)で原告に対し、被告が訴外会社の代表者としてした本件手形の振出行為を追認する旨の意思表示をし、同書面は同月十三日原告に到達したから本件手形上の責任はすべて訴外会社に帰属し、被告に手形上の責任はない。

第五、被告の抗弁に対する原告の答弁

一、被告主張の第二項のうち被告の辞任の登記が被告主張の日に行われたことは認めるがその余は争う。

商法第十二条に「善意の第三者に対抗することを得ず」とあるのは、善意の第三者が登記された内容に基いて主張した場合にその登記を経由すべきであつた者は、その登記された内容に反する事実を主張し得ないとするに過ぎない。善意の第三者が登記された内容に拘束されるわけではなく、登記された内容が事実と異なる場合には、その事実を主張するに何の差支えもないのである。

二、同第三項のうち被告主張のような内容の書面が被告主張の日原告に到達したことは認めるがその余は争う。

被告が訴外会社の代表取締役であると称して手形行為をした本件のような場合には、追認ということはありえない。無権代理行為の追認は、本人以外の者が代理権限がないのに代理人と称して法律行為をしたときに本人がその無権代理人の行為による法律効果を自己に帰属させることを内容とするものである。本人以外の者が本人であると称して行為をしたような場合には無権代理行為の追認ということはありえない。株式会社が行為をする場合には、その代表者の行為によるけれども、それは株式会社の機関としての行為であつて、株式会社そのものの行為である。代表者は株式会社の外に存立するものではなく、その代表者によつて選任された株式会社の代理人の如く株式会社外に存立するものとは本質的に異なるのである。従つて、株式会社の自称代表者の行為は、本人以外の者が本人と称して行為をした場合と全く同じであつて、これに対する追認ということは考えられないのである。

三、仮に追認が可能であるとしても、訴外会社が被告の本件手形の振出行為についてした追認は、訴外会社の代表者がしたものではないから無効である。本件内容証明の名義人である山浦隆は昭和二十八年十二月初旬に訴外会社の代表取締役に就任したというけれども、当時二十一、二才の青年に過ぎず、訴外会社の営業についてなんの経験ももたない。しかも、山浦を取締役に選任するについて株主総会も開かれていず単に登記簿上そのような記載がされているに過ぎない。従つて、山浦は訴外会社の代表取締役ではなく、訴外会社を代表する権限はないのであつて、本件内容証明による追認は訴外会社の追認とはいいえない。

四、仮に山浦が訴外会社の代表者であるとしても、その追認の意思表示は、被告が自己の本件手形上の責任を免れるために訴外会社の代表者である山浦の名前を借りてしたものであつて、山浦の真実の意思に基いたものでないから無効である。

五、仮にその追認が訴外会社の有効な追認であると認められるにしても、手形上に無権限で自称代表者として署名した被告の責任がその追認によつて消滅する理由はない。民法第百十七条は無権代理人が追認を得なかつたとき責任を負うものとしているが、手形法第八条は署名者に対して手形に署名したことによつて責任を課しているのであつて、手形上に代表者として署名しながら代表権限がなかつた被告はその手形行為をしたときに確定的に手形上の責任を負つているのである。この場合に本人の追認があつたとしても、それは手形外の行為であつて本人が手形金支払義務を負うことがあるのは格別、これによつて無権代理人である被告の確定的な責任がなくなる筈がない。

(証拠)

原告は甲第一号証から第三号証までを提出し、証人山田尚の証言を援用し、「乙第一号証の一は郵便官署作成部分のみの成立を認めその余の成立は知らない。乙第一号証の二および第二号証の成立は認める。」と述べた。

被告は乙第一号証の一、二及び第二号証を提出し、証人山浦隆の証言及び被告本人尋問の結果を援用し、甲号各証の成立は認めると述べた。

理由

一、原告主張の請求原因事実は当事者間に争がない。

二、被告は訴外会社が被告の無権限であることを原告に対抗することができない結果原告は訴外会社に対して本件手形上の権利を商法第十二条の規定によつて主張することができるから被告に対しては請求できないと主張する。

しかしながら、商法第十二条の意味は、登記すべき事項が登記されていないときには、そういう事項が実際に存在したということを善意の第三者にむかつて主張することができないということである。それは善意の第三者を保護する規定であつて、それ以下のものでもなければ、それ以上の意味をもつものでもない。善意の第三者はこの規定を援用する権利はあるが、これを援用することを義務ずけられるものでは決してないのである。

従つて、原告は商法第十二条の規定によつて請求することも可能ではあろうが、本件手形振出の当時において被告に訴外会社を代表する権限がなかつたとして被告に手形上の責任を問うてもなんら差支えがないのである。

三、そこで追認の点について判断する。

(一)  本件内容証明が昭和三十年十一月十三日原告に到達したことは、当事者間に争がない。

(二)  原告は本件のように無権限の者が会社の代表取締役であると称して手形行為をした場合には、会社がこれに対して追認するということはありえないと主張する。しかしながら、会社の機関が会社を代表して法律行為をする場合には、その形式、要件等はすべて代理の規定に準拠するのであり、従つて無権代理、表見代理の規定も当然に適用されることは、なんら疑問の余地がない。従つて、会社がその無権代理行為を追認することももちろん可能である。原告の所論は代表と代理との区別を強調するあまり代表行為の形式が代理行為のそれと同一であることを忘れた議論であつて、とるに足りない。

(三)  原告は本件内容証明の名義人である山浦隆は訴外会社の代表取締役ではないと主張する。しかし、成立に争のない甲第二号証、乙第二号証によれば山浦隆が昭和二十八年十二月十日訴外会社の代表取締役に就任した旨の登記があることが明らかである。そしてかような登記がされている以上、反証のない限り、山浦隆は訴外会社の代表取締役であると推定される。証人山田尚、山浦隆の各証言及び被告本人尋問の結果を綜合してもこの推定をくつがえすには足りず他にこれに反して原告の主張事実を認めるべき証拠はない。従つて、山浦隆は訴外会社の代表取締役であり、これを適法に代表するものであるから、同人名義の追認は訴外会社の意思表示として有効であるといわなければならない。

(四)  次に、原告は本件内容証明による追認の意思表示は山浦隆の真意に基いたものでなく無効であると主張するが、証人山浦隆の証言及び同証言によつてその成立を認めることのできる乙第一号証の一によれば、本件手形は訴外会社と原告との靴クリームの取引に関して振り出されたもので、元来訴外会社の責任において処理すべきものであつたから、山浦が追認したのであることが認められる。この認定をくつがえして原告の主張事実を認定するに足りる証拠はない。

(五)  そこで、進んで手形に署名した無権代理人の責任はたとえ追認があつても消滅しないという原告の主張について考える。民法第百十七条の規定によれば、無権代理人は本人の追認を得られないとき、その行為について責任を負うのである。この原則は商行為はもちろんのこと、手形行為にも適用があると解されるのであつて、手形法第八条がその例外を設け無権代理人が手形に署名したときは、署名者は本人の追認があつてもなお手形上の義務を負うことにしたと考えねばならぬ根拠はない。

およそ無権代理人に責任を負担させようとする民法の趣旨は、本人に対してその法律効果が生ずるものと信じた取引の相手方を保護するにある。そうすると本人の追認があつた場合には本人にその責任をとらせることで足りるのであつて、その上なお無権代理人に責任を負担させなくてはならない理由はない。手形行為についても同様である。たまたま本人に資力なく無権代理人が資力のあるために、追認によつて相手方が不利益をこうむることがあるとしても、元来相手方としては本人と取引する意図であつた以上、それで甘んじなければなるまい。もし代理人の資力に重点をおいて取引をしたのであれば取引の際それに応ずる処置をとればよかつたのである。原告の主張は理由がない。

四、以上に説明したとおり、被告の本件手形振出については訴外会社の追認があつたから、手形上の責任は訴外会社に帰したものであり、被告は手形振出について責任がないことになる。

よつて、被告に対して本件手形金の支払を求める原告の本訴請求は失当であるから棄却することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八十九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 古関敏正)

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